住職ごあいさつ

住職写真はじめまして、観音寺住職の青山快玄(あおやま かいげん)でございます。人々に開かれた寺院である為に、現代を生きておられる皆さまと宗教を通し、いかに関わってゆけるかが私の命題であります。
 ご先祖供養をされる”今”を生きる人々には常に選択が迫られます。生活の中の取捨選択で「供養の心」は後回しにされることを近年では多く見受けるようになりました。 しかし、時として肉親や最愛の人を失ったとき、誰もがうろたえ悲嘆し、人の命のはかなさを思い知ることとなります。 私も含めまして人は誰もが有能でも万能でもありません。共通していることは、生を受けたものには必ず死が訪れるということです。先に浄土へ旅立った人への「供養の心」は、後に旅立つこととなる我々にとってたくさんの教えを示してくれます。
 生きていれば、たくさんの苦しみに出会います。それは誰にでも訪れる普遍的なことなのです。逃れるのでは無く受入れ、また歩み始める。仏教はいつの時代も私たちの生活の中にありました。仏教では亡くなられた方はみな仏になるとされます。仏を拝む-供養する心-は自己をみつめることと呼応します。仏様に手を合わせるとき、自分の心にある慈愛や感謝の気持ちが自然と宗教心となることを願って。

 

サイン

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